2003-8-31 『英雄/ヒーロー』 HERO

今年の夏はいったい何日あったんだろう?眠れない夜や目眩をおこすほどの酷暑の日はなかった。夏休み最後の日にいつも行く映画館へ向かう為最寄りの地下鉄の駅へと向かったが、事故で地下鉄は止まってるらしい。あんまり聞きたくはない内容のアナウンスを振り切るようにバス停へ向かい私鉄の駅を目指した。でも目的の駅はまだまだ遠い。映画館にたどり着いたのは予告編がはじまって20分が経った頃だ。虫の知らせなのか昨日のうちにチケットを買っておいて大正解だ。席に着くのを待っていたかのように映画がはじまった。でもしっかりと飲み物は買ったけどね。

いきなり大スケールのシーンを見せられて口があんぐりだ。CGだと分かっているけど圧倒されてしまった。格好良く登場の無名(ウーミン)/リー・リンチェイいやジェット・リーの顔のでかい事。おまけに顔と体のバランスが悪いぞ。そして声のトーンが高くて意外だった。秦王(クィンワン)/チェン・ダオミンとの謁見の間へと場面が変わると今までの騒然さとは打って変わって無名が床を踏みしめる音と秦王が身に付けた鎧の軋む音だけとなり緊張が一気に高まる所は見事な切り替えを見せている。そして無名の口から出る言葉により物語が始まる。

やっぱりジェット・リーはアジアbPのアクション・スターだね。長空(チャンコン)/ドニー・イェンとの戦いは素晴らしいの一言だ。ワイヤー・アクションとCGと生身の三つ巴だ。そしてバック・ミュージックは老人が奏でる琴の音と降りしきる雨音のみ。映画館の音響設備にも因るんだろうけど、四方八方から雨音が聞こえてくるんだ。臨場感たっぷりで、まるで自分がその場所に居るようだった。秦王から送り込まれた7人の剣士の内、何人かの剣が長空の槍の一撃で曲がってしまうんだけど、無名と長空の戦いを見詰めている時にはしっかりと鞘に納まっていたぞ。まさか足で踏んづけて伸ばした分けでも無いだろうに・・・。

無名と長空が意識の中で戦うシーンは格闘系のマンガなどでもよく表現されてる手法だよね。俺が大好きな『北斗の拳』でもよく描かれている。その辺りは同じアジア人だから発想というか考え方が似てるのかもしれない。長空が登場する直前に大きな白い碁石が映るんだけど、俺は碁石じゃなくて白玉だと思った。だって水に濡れてすごく美味そうだったんだもん。

無名が語る嘘の物語が赤。異論を唱える秦王が想像する真実が青。無名が回想する真実が白。残剣と飛雪の絆を綴るのが緑。と言うようにシチュエーション別に色分けされていたけど、淡い青や淡い緑を使った衣装はすごく綺麗だったよね。あれは中国人の感覚じゃないよね。日本人ワダ・エミだから出せた色だと思う。

趙の国の私学塾で無名と飛雪(フェイシュ)/マギー・チャンが飛んでくる矢を叩き落とすカットは「西洋人はあのカットを見ると笑ってしまうんだ」とチャン・イーモウが雑誌のインタビューで語っていた。実際に刀や物理的な力で叩き落とすのではなくて、“気”で落としてるんだってさ。あのカットをいきなり見せられたら「んな事ねぇよ」思うけど、物語の中で剣の達人が極める孤高の高みを説明されているから何となく理解出来てしまうんだよね。『マトリックス』のネオも弾丸を止めるけど、あれは神のような存在が与えた力で、劇中でも言われていたけどまさにスーパーマン。剣の奥義を究めようとして身に付いた力とは違うんだ。やっぱり西洋人とは精神文化が違うらしい。

湖で無名と残剣(ツァンジェン)/トニー・レオンが飛雪を弔いながら戦うシーンもため息が出るほど美しいカットの連続だった。ファンタジー系の映画で色々と美しい景色や息を呑むカットは見せられているけど、実際の風景や景色はカットの中の1か2で残りの8〜9はCGだと言うんじゃなくて、現実に存在する風景にCGを重ねているからあれ程の素晴らしい映像が出来たんだと思う。悲しいシーンなのにトンボや蝶が水面を舞ってるように俺には見えたよ。

残剣が秦王と戦うシーンで何枚もの大きな緑の布が舞うカットは香港映画の真骨頂を見せてる場面だと思う。命のやり取りをするという殺伐とするカットの中ですごく優雅さを感じる事が出来た。白い鳩が飛ぶかと思ったけど、それじゃジョン・ウーの香港ノワールで違う映画になっちゃうよね。

飛雪と如月(ルーユエ)/チャン・ツィイーが戦うカットも美しくも悲しいシーンに仕上がっていた。スクリーン全体を黄色い落ち葉が舞うシーンは、「そこまで落ち葉を散らす事無いだろう」と思うけど、葉が落ちる音までが効果的に使われていた。地面全体に広がっていた黄色い葉はCGだけじゃなくて実際に黄色く色をつけて引き詰めたという話を聞いたけど、もしそれが本当なら凄いよね。そこまでやるかと言いたくなるよ。

少し不満な点もあるんだよね。はじまりはアクションで観客を掴んでおいて、次第にストーリー物に変わっていくのは良くある手法だから何にも思わないけど、シチュエーション違いのカットを何度も見せられるのは少々退屈だった。今度古書店に行くことがあったら芥川龍之介の『藪の中』を捜してみようかな。

秦王が暴君として描かれてなかったのが新鮮に感じられた。秦王の考える天下統一と残剣が望んでいる天下とが大局として同じ物であり、それを語る事が出来るのは臣下の中には誰も居ずに命を狙う刺客だけがそれを分かっていた、そしてこの国の将来について初めて話し合う事が出来た人物の無名を殺さなければならない秦王の苦悩が、殺す事を命じる時の力の無い腕の振り方に現われていたよね。

気で矢を落とす事が出来、10歩あれば何人でも殺す事が出来る技を会得してる無名なら、降りしきる矢から逃げる事は可能だったはず。しかしあえてそれをせず死を受け入れてしまうところはハリウッド映画じゃ描けないところだね。

敵が誰なのか?悪者は誰なのか?善悪の設定が全くされてなかったよね。これじゃ西洋人、特にアメリカ人には受けないんじゃないかな。タイトルの『英雄』の英語が『ヒーロー』なのも何となく気に食わないんだ。ヒーローは何処となく明るい雰囲気がする。悪に立ち向かい勝利を収める。それだけじゃなく、あらゆるスポーツにもヒーローはいる。でも英雄は何処となく暗くて負のイメージを背負ってる気がする。西洋の世界のヒーローは超人的な扱いをされるかもしれないけど所詮は人なんだ。東洋の世界の英雄は死んだら神様になるんだ。平将門・関羽が良い例だと思う。そこが大きく違うんだよね。役名も英語にするとイメージが変わるね。無名=Nameless。残剣=Broken Sord。長空=Sky。飛雪=Flying Snow。如月=Moon。だもん、ちょっとね。

考え過ぎかもしれないけど、秦王・無名・残剣・長空の3人は大局が何たるかを分かっていたが、飛雪と如月は復讐心と盲目的な愛で大局が見えなくなっていたよね。それは女だからかな?儒教的な考えがそこに働いていたのかな?

秦王はその後中国統一を果たし、始皇帝となる。万里の長城の建設、貨幣・文字・度量衡の統一と矢継ぎ早に事業を進めるが、始皇帝の没後すぐに国は乱れ秦は14年で歴史を閉じ、焚書坑儒などの弾圧を行った事により始皇帝は悪のレッテルを貼られてしまう。これが俺の知ってる歴史だけど、この映画を見ている時にふと思った事があるんだ。中国の歴史書は、ある国を滅ぼして新しく建国した国が書くものなんだ。だから勝者の言い分で書かれているんだよね。だから始皇帝が本当に暴君だったかどうかは今じゃわからないんじゃないかって事と、劇中に語られていたように始皇帝の天下に対する考えが回りの人間には全く理解されてなかったんじゃないかなって事なんだ。今から2200年以上も前じゃ現代の考えは全く通用しないだろうし、人間ももっと野蛮な生き物だったかもしれないしね。『英雄』をみて、俺も東洋人、そしてアジア人なんだって事を改めて思いました。あ〜それにしても長い文章だ。おやすみなさい。

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