2003-6-22 『ソラリス』 SOLARIS

3月の初めに映画を見てから、しばらく映画を見に行く事は無かった。その頃は見たい映画が無かったんだよね。見たい映画が始まった頃に、映画どころじゃない事が起こったんだ。ドタバタした日々が続くうちに、観ようと思ってた映画は次々と終ってしまった。そして落ち着いた今、観たい映画と観てもいいかなと思う映画が一本づつあって、観たい映画は混んでる事が明白だから、観てもいいかなと思っていた『ソラリス』に決めて劇場に足を運んだんだ。小説は読んでないけど、オリジナルの『惑星ソラリス』は観た記憶はかすかに有る、記憶ではショーン・コネリーが主演した映画だとずっと思ってた。記憶は別の映画とすり替わっていた。その映画は『未来都市ブラジル』だったよ。全然違うじゃないか!!

近未来なのか現代なのか?はたまた遠い未来なのか?その辺りの設定は一切説明無しで物語りは始まった。未来の話しにしては、クリス・ケルヴィン/ジョージ・クルーニーのオフィスの窓から見える向かいのビルの古い事古い事。未来の話にしてはちょっと変な感じがしたよ。

ケルヴィンが野菜庫?の様な所から野菜を取り出して包丁で切るシーンは信じられない事がスクリーンでは起こってたよね。取り出した野菜は丸い野菜だったのに、まな板に乗ってたのはキュウリみたいな細長い野菜だった。野菜庫?の扉を閉める時には中にキュウリみたいな野菜は残ってたからね。その野菜を包丁で切ってる時に指を切ってしまって水道の水で血を流すカットは信じられないミスカットだった。右手で包丁を持って野菜を切って怪我をしたのは左手。でも水道の水で血を流したのは右手の人差し指だったぞ。映画の始まりの方と終わりの方で2回も見せられたから間違いは無し。それってあり得ないだろう!。誰も気付かなかったのかな?もしかして、そこから不思議な現象が既に始まってたって事なのかな。

ソラリスで調査してたジバリアン博士から連絡を受けてソラリスに向かう決心をする辺りは、期待感が膨らんで、なかなか面白かった。しかし余りにも簡単に到着し過ぎだよね。余程の未来らしいけど、宇宙服や宇宙ステーション<<プロメテウス>>の船内の作りは全然未来的な作りじゃなかったよね。70年代の人が考えたような古臭さを感じた。

宇宙ステーション<<プロメテウス>>に到着してからは???の連続だった。助けを求めたジバリアン博士は自殺してるし、クルーのゴードンとスノーはケルヴィンに対して何故かよそよそしくて、何が起きているのかを全然話さないし、何が起きるのかも話さない。まぁ何が起こっているかは観ている方は分かってはいるんだけどね。

ジバリアン博士には子供が、スノーには弟が、ケルヴィンには妻の姿をした人が現れる。ゴードンに現れたのは誰だったんだろう?物語のキーポイントでは無いけど知りたかったな。ケルヴィンの妻が死んだのが何時の事なのか全くの説明無し。ケルヴィンに白髪が生えてたからそれなりの時間は経っていると思うけど。その回想シーンで妻のレイアとの初めて出合った時のシーンが何度か出てきたけど、ドアノブを手に持って微笑んでる人を見たら、興味は湧くけど普通は好感は持たないと思うけどな。じっと見つめる視線が怖すぎ。

人が人生について悩むように、創造された者達も自分の存在理由について悩みはじめるようになる。スノーが実は入れ替わっていた事が分かった辺りは謎が少しずつ解けてくる感じがあって期待が膨らんだ。でも分かった事はソラリス星人は全能の者、しかしただ在って、在る者。受け入れるか拒むかは本人次第。ゴードンにとっては悪魔。ケルヴィンにとっては神だったという事。

ソラリスへ落ちていく宇宙ステーションの中でケルヴィンに手を差し伸べた子供は、『2001年宇宙の旅』の“スターチャイルド”のように人類の進化の象徴だったのかな? それにしちゃ今いち影が薄いと思う。ラストでケルヴィンの指の怪我が水で流すと治ってしまうカットは「あぁケルヴィンも創造された者になったのか」と思った。

観ている間中、「何の事?何なの?何故なの?」の連発だった。頭の中に?マークが飛びまくったよ。全体的にダラーっとした流れでメリハリが無いのも辛かったよ。家に帰ってパンフを見たら「SF映画じゃない」と書かれていてビックリした。SF映画じゃないといわれても『ソラリス』はSF映画でしょうが。だから映画を見ていて違和感があったんだ。だったら『ソラリス』を元にして全く違う設定で別の映画を作ればいいのにと思ってしまった。でもそれじゃ駄目なんだろうな。

「20世紀フォックスとソダーバーグとクルーニーは騙されたんじゃないの、キャメロンに」と思ってしまう映画でした。観てもいいかなと思っていた映画は、観ない方が良かったと思う映画になった。

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