2004-01-24 『バレット・モンク』 BULLETPROOF MONK

パンフレット映画の本編前に流される予告編を見るのが結構好きなんだよね。心の中は今から見る映画への期待感で一杯だが、次に見る映画を選ぶ材料にもなるしね。中には1年も先の映画の予告編もあって苦笑してしまう事もある。ここしばらくは同じ映画ばかりを何度も見てたから、『バレット・モンク』の予告編を見た時に「次はこれだ」と即決したよ。だってチョウ・ユンファが主演でジョン・ウーが制作だもんな。

でもちょっと嫌な予感がしたんだ。邦題では『バレット・モンク』でサブ・タイトルが『弾丸坊主』になってるけど、原題は『BULLETPROOF MONK』だから『防弾坊主』のはずなんだけどな、意味が全く逆だ。嫌な予感は予想外な形で実現した。公開から1週間経った土曜日に見に行ったのに、観客が2列しか入っていないじゃないか。20人ちょっとしかいないぞ。今日見に来て大正解だったかも。来週は打ち切りかもね。


オープニングがはじまって直ぐに唖然としてしまった。CGがちゃちいとかじゃないんだ。それはチョウ・ユンファ演じるチベット僧(名前は捨てた)が受け継ぐ秘伝の巻物に関しての事だ。受け継ぐ際に師が語った言葉が『この巻物に書かれているお経を間違えることなく唱える事が出来ると、その人の心が悪ならばこの世は地獄へ。善ならばこの世は天国になる。人はまだその域に達してはいない。だからこの巻物を私は守ってきた』という物だった。「そんな危ない物置いておくなよ」と思いっ切り突っ込んでしまったじゃないか。

その巻物を奪いに来たカレル・ローデンが演じるドイツ軍兵士ストラッカーが奪取に失敗した際に、悔し紛れに「モーンク。モーンク」と叫ぶんだ。翻訳家の菊地浩司も悩んだ挙げ句に字幕を「坊主。坊主」としたと思うけど、苦笑してしまった。だって『坊主』だぞ。日本人にとって『坊主』という言葉は、あんまり良い意味で使われてないよね。僧侶に関しては『生臭坊主』や『坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い』そして『坊主丸儲け』という言葉まである。俗世間に対しては子供を『坊主』と呼ぶし、『海坊主』に『タコ坊主』そして『三日坊主』という言葉まである。どうみても良い意味の言葉じゃないよね。

俺は巻物を奪いに来るのがチベットを侵攻した中国軍かも?なんて思ってたけど、それじゃ『セブンイヤーズ・イン・チベット』の二の舞になるし、中国人のチョウ・ユンファが納得しないし、立場も無いよね。

巻物の守護者に選ばれると60年間は年を取る事がなくなり、病は必ず治癒し怪我も治る。その60年目(2003年)にチベット僧はニューヨークへ現れた。スリを生業としているちゃちな男カー(ショーン・ウィリアム・スコット)と出会う。街のチンピラに絡まれたカーが巻物の守護者たる者が成す預言の1つ“その者、鶴(Crane/クレーン)が天空を回る間に敵の群れを打ち破るであろう”を偶然にも成してしまうのをチベット僧は目撃してしまう。何となく“鶴(Crane/クレーン)”は工事現場のクレーン(スペルは同じ)が関係するんじゃないかと思ってみてたけど、地下鉄の資材置き場らしい所に中にクレーンは無いようだったので、「もししかして、滑車の事か?」とスクリーンを睨んだけど、何が何やら訳が分からないうちに預言は成就された。俺にはバッド・ガールと呼ばれる女が手助けをして危機を脱したように見えたけどなぁ・・・。

カーが(カンフー映画で覚えた)カンフー使いだったり、謎の美女バッド・ガールの登場やチベット僧の哲学的な言葉等々、面白そうな材料は沢山あるのに場面の切り替えのタイミングが悪いのか、登場人物達に感情移入出来ないんだ。

チベット僧はストラッカーの追跡から逃れる為、各地を転々としたどりついた街がニューヨークだった。しかしニューヨークにも未だ巻物に執念を抱くストラッカーの悪の手が伸びていた。チベット僧の仲間だと思われたカーも命を狙われる羽目に陥った。敵の追撃をかわす二人だったが、カーが父親と慕う映画館ゴールデン・パレスのオーナーのコジマ(マコ)が殺されてしまう悲劇が起きた。カーとチベット僧は一旦袂を分かつが、カーの敵を討ちたい心に答えるようにもう一度手を握る。そしてチンピラ達に襲われた際に知り合ったバッド・ガールことジェイドは実はロシアン・マフィアの一人娘だった。新たな仲間を加えた3人はストラッカーに反撃を開始した。

人権団体を隠れ蓑にしたストラッカー一味の元に乗り込んだチベット僧は不覚をとり捉えられてしまう。万が一を予想し巻物に書かれているお経を体に刺青として彫り、最後のフレーズは記憶として自分だけが覚え、巻物はダミーとして持っていた。しかしストラッカー“ハイドロ・プレッシャー・なんたら”というマシンを開発し、巻物について何かを知ってるらしいチベット僧の仲間を実験材料に使う為拉致し、針の様な物を頭に刺し記憶を取り出す事が可能なマシンを完成させていた。なんだこの設定は!このマシン全然意味が分かりませんよ。頭に針を刺し電気信号の様な形で記憶を取り出そうとするんだろうけど、“ハイドロ・プレッシャー・なんたら開始”という声と同時に部屋に設置してあるプールに大量の水が落ちてきてバシャーンとはねるんだ。一体なんの為よ?何の理由で水がはねるのか全然分かりませんでした。

ストラッカーはチベット僧の体に彫られたお経のほとんどを解読し、そして唱えた。身体が少しずつ若返りはじめる。自ら開発したマシン(ハイドロなんたら)を使い記憶の中のフレーズも後少しで解読されようとしていた。まさに万事休すの時にカーとジェイドがその部屋に乗り込みチベット僧を救い出す。その時に第2の預言“その者、浄土(ジェイド)の愛を求めて戦うであろう”が成就された。バッド・ガールが本名をジェイドだと言った時に、「あちゃー、そう来たか」と思ってたんだ。『浄土』って『jo-do』って発音するとばかり思っていたし、第2の予言の字幕には『浄土(ジェイド)』ってなってたから、気にはしていたけど、まさかこう来るとはね。浄土は英語にすればPure LandかParadiseだ。名前のジェイドは『jade/翡翠』を意味するんじゃないかな? 

巻物のお経を唱えると世界を思うままに出来るとは判っているけど、若返る理由が判らん。巻物の護持者に選ばれると60年間の不老不死は与えられるけど、不老不死と若返りはまったく別の事だと思うけど。ここは少しきついんじゃないか。あまりにも無理矢理だ。

チベット僧とカーは力を合わせストラッカーを倒し、拉致されていた僧侶たちを救出した。これで第3の預言“その者、唯一の家族と見知らぬ兄弟を救うであろう”も達成された。3つの預言の内2つがダブル・ミーニングになっているのなら、最後の予言もそうしてくれよ。色々と考えてしまったじゃないか。

チベット僧がカーを次の護持者に選び引き継ぎの為の儀式の最中にジェイドが弾を受け倒れるシーンで見ちゃったんだよね、俺。倒れるジェイドのお腹の辺りにお経が書かれて(彫られて)いるのが。だからチベット僧やカーよりも先にジェイドは死んではいないことが判っていたよ。巻物のパワーが俺にも影響したようだ。

見る前に感じてた悪い予感は、見終わった後には悪い現実になっていたよ。映像にスピード感が無い。場面の切替も悪い。BGMなんて最悪に近いんじゃないか!。本当にジョン・ウーが制作なの?名義だけ貸してんじゃないだろうな。期待してた俺が悪いのかもしれないけど、ガン・アクションはたった一回だけ。ラスト・シーンでジェイドが言ったじゃないか「私も弾を防げるの」って。やっぱり邦題の『弾丸坊主』は違うじゃないか。またもや宣伝に騙されたよ。トホホ。チベット僧が自らの体にお経を彫り、最後のフレーズは頭の中。60年前だったら通用したかも。

『護持者が護持者を選ぶ』『護持者が護持者に何らかのパワーを移す』見ていて違和感を感じたよ。無形の物を引き継ぐんじゃなくて、一応は有形の物を引き継ぐんだから、巻物をもっと主役並みの存在として表現すればよかったんじゃないかな。

俺の勘違いかもしれないけど、チベット仏教って日本の仏教のように大乗仏教(例外はあるよ)じゃなくて、上座部仏教(古い言い方は小乗仏教)のはず。自分が悟りを開く為に修行をするんだ。“世の中を天国にして世界中の人たちを救う”なんて教義あるのかな? そして修行は空気を石のように踏んで空を飛べるようになるためにするものでもありません。念のため。

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