いつもの事だけど、FMの音楽番組をエアチェックしたカセットテープの中にすごく気になる曲があったんだ。曲目のチェックなんか全然してないから誰の曲なのか全くわからない。しかし声に特徴があってすごく印象的な曲だったんだ。

その時から数年が経ち、法律的に見れば大人になったばかりの頃、よく出入りしていたライブハウスのDJブースで、ターンテーブルに載せられたレコードから流れていた歌声、「あれっ。この声は・・・」そしてあの曲が始まったんだ。

「この曲誰ですか?」 「ジャクソン・ブラウンだよ」と店長。

ジャクソン・ブラウンの名前は知っていたけど、もっとカントリー色の強いアーチストだと勝手に思い込んでいたんだ。アルバムタイトルは『THE PRETENDER』。 曲名は『HERE COMES THOSE TEARS AGAIN』で、店長に頼み込んで即、ダビングさせてもらったよ。

その出会いの日にはこれ程長くジャクソン・ブラウンがアーチストでいようとは、大人の扉を開けたばかりの俺には考えられなかったよ。


1948年10月9日、父親が米軍関連の新聞社『スターズ・アンド・ストライプス』の記者で、西ドイツに赴任していた関係でハイデルブルグにおいて生を受ける。3歳の時に帰国しロサンジェルスのオレンジ郡で生活を始める。

12歳で曲を作り始め、ハイスクールに進む頃にはシンガー=ソング・ライターを本格的に目指す決意をしていた。その後は地元のフォーククラブの“The Paradox”を中心に活動し、高校を卒業した後に一時的ではあったが、そのクラブに出演していたニッティー・グリティー・ダートバンドのメンバーであった時期もあった。

19歳の時ニューヨークで2ヶ月ほど暮らした時にヴェルヴェット・アンダー・グラウンドのボーカルで女優のNICO/ニコと出会う。ニコは1967年発表のソロデビューアルバム『CHELSEA GIRL/チェルシー・ガール』の中でジャクソン・ブラウンの作品『FAIREST OF THE SEASON』『SOMEWHERE THERE'S A FEATHER』『THEASE DAYS』の3曲を取り上げた。

それを契機に、ニッティー・グリティー・ダートバンド。トム・ラッシュ。ザ・バーズ。ジョニー・リヴァースといったような有名アーチストやグループがジャクソン・ブラウンの楽曲を取り上げるようになり、ソング・ライターとしてのジャクソン・ブラウンの名前は音楽業界で一気に注目される事となった。

JACKSON BROWNE/ジャクソン・ブラウン・ファースト

自分自身のアルバムを発表する機会に恵まれずしばらく不遇を囲っていたが、70年22歳の時にアサイラムレコードの創立者(その後はゲフィン・レコードの社長となる)ディヴィッド・ゲフィンと出会い、72年にアサイラムレコードの第一回発売アーチストとしてジョニー・ミッチェルの『FOR THE ROSE/薔薇に送る』。イーグルスの『EAGLES/イーグルス・ファースト』のアルバムリリースと同時にファーストアルバム『JACKSON BROWNE/ジャクソン・ブラウン・ファースト』をリリースする。

デビューシングルとなった『DOCTOR MY EYES/ドクター・マイ・アイズ』はビルボード誌において8位にランクインし、ウェストコーストサウンドのシンガー=ソング・ライターブームの火付け役となると同時にブームの立役者となる。アメリカ・イギリス両国の音楽評論家たちは、こぞってこのアルバムを取り上げ、“60年代の詩人がボブ・ディランなら70年代はジャクソン・ブラウンの時代になる”と彼が優れた作詞能力の持ち主であると絶賛した。

 

FOR EVERYMAN/フォー・エヴリマン

73年にはセカンドアルバム『FOR EVERYMAN/フォー・エヴリマン』を発表する。表ジャケットに写っている石造りの建物は牧師である彼の祖父がネイティヴ・アメリカン風に作り上げたもので、ジャクソン・ブラウンも住んでいた事がある。

そして今ではあまりにも有名な話だけど、レコーディングにはイーグルスのドン・ヘンリーが、そして共通の友人であるJ.D.(ジョン・デイビッド・)サウザーも参加し、曲作りには同じくイーグルスのグレン・フライが参加している。アレンジは違うがイーグルスのデビューシングルにもなった『TAKE IT EASY/テイク・イット・イージー』も収録されている。

そしてこのアルバムから長く盟友と呼ばれるようになるギタリストのDAVID LINDLEY/ディヴィッド・リンドレーが参加している。その他ではジョニー・ミッチェルやエルトン・ジョンも変名で参加している。

LATE FOR THE SKY/レイト・フォー・ザ・スカイ

1年後の74年にはサードアルバム『LATE FOR THE SKY/レイト・フォー・ザ・スカイ』を発表。アルバムチャートで14位にランクインし、彼自身にとって初のゴールドディスクを獲得する。オープニングを飾るタイトル曲はロバート・デ・ニーロ主演の映画『タクシー・ドライバー』の劇中で“大統領選挙の選挙運動に参加していた女性に好意を寄せていたが、その女性に冷たくされて、真っ暗な部屋の中でじっとテレビを見ている。”というシーンで流れるという使われ方をしている。

デビュー後もジャクソン・ブラウンの作品を取り上げるアーチストやグループは増えつづけ、主だったものでも『DOCTOR MY EYES/ドクター・マイ・アイズ』はジャクソン・5。『JAMAICA SAY YOU WILL/ジャマイカ・セイ・ユー・ウィル』はジョー・コッカー。『SONG FOR ADAM/アダムに捧げる歌』はキキ・ディー。『FOUNTAIN OF SORROW/悲しみの泉』がジョーン・バエズといったビッグネームに移って行った。

THE PRETENDER/プリテンダー

そして76年には俺にとってその後運命的な出会いをする、4枚目のアルバム『THE PRETENDER/プリテンダー』をブルース・スプリングスティーンも手がけた、JON LANDU/ジョン・ランデューをプロデューサーに迎えて発表した。しかしアルバム制作中にモデルでもある、妻のPhilis/フィリスが薬物自殺するという人生を左右する悲しい事件が起こってしまう。

色々な憶測が飛び交う中発売されたこのアルバムは、過去3枚のアルバムにないロック調の作品となっていて、プラチナ・ディスクを獲得する売上を見せる。

レコーディングメンバーも豪華で、DAVID LINDLEY/デイヴィッド・リンドレー(スライドギター)を筆頭にドラムにRUSSELL KUNKEL/ラス・カンケル、JIM GORDON/ジム・ゴードン、JEFF PORCARO/ジェフ・ポーカロ。ベースにはLELAND SKLAR/リー・スカラー、CHUCK RAINEY/チャック・レイニー。ピアノはBILLEY PAYNE/ビル・ペイン、ROY BITTAN/ロイ・ビタン。ギターにFRED TACKETT/フレッド・タケット、LOWELL GEORE/ローウェル・ジョージ。コーラスとハーモニーにはBONNIE RAITT/ボニー・レイット、ROSEMARY BUTLER/ローズマリー・バトラー、GRAHAM NASH/グラハム・ナッシュ、DAVID CROSBY/デイヴィッド・クロスビー、etcとレコード会社の枠を超えたそうそうたるメンバーが名を連ねている。


A面

1.THE FUSE

発表以来コンサートツアーで必ず演奏されるナンバーで、意識的に声のトーンを落として、何かを予感させるような始まりになっている。曲の途中のドラムのラス・カンケルとベースのリー・スカラーのアンサンブルに重なるデイヴィッド・リンドレーのスライドギターは、いつ聞いても見事の一言しかない。“夜が明ける直前に空が一瞬紫色に燃え上がる”そんなイメージが湧いてくる。曲の後半のジャクソン・ブラウンの声は前半とはうって変って力強さを感じる。

『歳月は不確かな道程を与えてくれる。
そして人生に対して抱く怖れは理由も無く未来を押しつぶしてしまう。
僕の心に有る何かが、僕の心に話し掛けてくる。
見る事は難しいけれど、けっして僕のそばを離れない。
それは永遠に有り続け誰にも消滅させる事は出来ない。
時は導火線のように過ぎ、そして導火線は燃え続ける。』

 

2.YOUR BRIGHT BABY BLUES

今までのジャクソン・ブラウンの曲に戻ったように思えてちょっとほっとする感じの曲。出だしの彼の声は何かを伝えようとする意志をもっているように聞こえる。

『ベイビー、僕が君を必要と思っているように、君が僕を必要としているなら
求める事は、たった一つの事なんだ。君の庭に開いている穴のところへ、
僕の手を取り連れて行っておくれ。そして僕をその中に入れておくれ。』

ジャクソン・ブラウンの詞にはよくダブルミーニング的な言葉を並べる事がある。この詞の中にもそれがあって『To the hall in your garden wall 』なんかもそれで、ライナーノーツなんかではH.G.Wellsの小説の一節からなんて書いてあったけど・・・そうかな。

妻フィリスの事が無ければ単なるラブ・ソングとして位置付けられる曲ではあるけど、Babyをフィリスに置き換えると胸が張り裂けそうなメッセージが現れる。でもそれこそがラブ・ソングなんだけどね。

 

3.LINDA PALOMA

いきなりというか予想外の楽器、GUITRONとHARPから始まってビックリという感じ、1曲目,2曲目の雰囲気からがらっと変わってちょっと救われる気がする。

『でも朝は疲れきった君の翼に安らぎを運んでくる。太陽の明るい光に向って恋人たちは歌う。
僕はこうゆう事は全部わかっていたんだ。大きく羽ばたけ。リンダは鳩。』

俺はLINDAとはずっとリンダ・ロンシュタットの事だとずっと思っていたけど、実際はどうなんだろう。

 

4.HERE COMES THOSE TEARS AGAIN/あふれ出る涙

一聴すると耳当たりがよく、POPな曲としか思えない。確かに初めて聴いた時は俺もそう思った。しかしこの曲の作詞のみNANCY FARNSWORTHとの共作になっていること、そのNANCYがフィリスの母親である事を知った時、曲のイメージは一変した。

曲のはじまりの歌詞“HERE COMES THOSE TEARS AGAIN” 『また涙が溢れ出してくる』これで全てが理解できる。

『今日、君がやった事のように、いつも君は歩いて帰ってきた。
今まで一度も離れたことが無い振りをして』
『君が話しているのが聞こえるよ。
そして君はたった一人でやらなきゃいけないことがいくつもあった。
また涙が溢れ出してくる。』

ボニー・レイットとローズマリー・バトラーのコーラスに重なる現在と過去を行き来するジャクソン・ブラウンの歌詞に聴いてるほうも涙が溢れ出してくる。


B面

1.THE ONLY CHILD

このアルバムの中で一番のバラード。

『失望させるものは無視しなさい。笑いでお前のグラスを満たせなさい。
お前の幻想が壊れるその時まで放っておきなさい。そしておまえ自身の中に、もう一つの魂を見つけたら
お互いを大切にしなさい。』

この曲のタイトルそのまま、自分の子に対する親の気持ちを歌った曲。でも素直に受け取れない所も有るんだ。出だしの歌詞がBoy Of MineでタイトルがTHE ONLY CHILDなのに“弟の面倒を見るように”という歌詞があるし、MotherやBrotherはあってもFatherは出てこない。子供の事は大好きで大事なのは当然の事なんだけど、歌詞を読むほどにある種の諦観を感じてしまう。

この曲も昔のジャクソン・ブラウンを感じる。バイオリンの悲しげな音色が一層の趣を加えていると思う。

 

2.DADY'S TUNE/愚かなる父親の歌

昔この歌詞を初めて訳したとき、これは世捨て人になるための決意、それも悔いを残したまま。そしてもう少し踏み込んで考えれば自殺を決心した人の心境を思い浮かべてしまった。だって自分の父親の事を歌っているのに現在形で書いてあるんだもんな。

『秋風に吹かれて舞い落ちる木の葉になりたい』
『父さんにどうか知って欲しい事がある』
『出来る事なら本のページを元にめくるつもりだけど、時がそれを許さないだろう』
『流れに任せたような人生は、あまりに速く、大きく、そして堅固。いつかどこかで間違ってしまった。』

この一つ前の曲の『THE ONLY CHILD』 と曲順を並べる事でジャクソン・ブラウンの心の叫びが聞こえてくる気がする。しかし邦題の“愚かなる父親の歌”はちょっと納得いかないんだ。歌詞の中に父親が歌を歌ったなんて書いてないし、内容的には『父さんがいつもかけていた78回転のレコードの横に僕の大好きな45回転のレコードを置かせてください。その2枚のレコードの間に二人の時間が残り、その後は何も残らない』だから、やっぱり邦題は変。考えても陳腐なものになるのなら、意味不明の邦題なんていらないと思う。

ピアノの旋律に沿って流れるジャクソン・ブラウンの歌声、少しづつ重なるバックバンドの音、これしかアレンジが考えられないほど重くて悲しい曲。

 

3.SLEEP'S DARK AND SILENT GATE/暗涙

イントロがピアノとストリングスではじまる曲でちょっとありきたりかなと思うけど喉をからさんばかりに歌うジャクソン・ブラウンの声の中に、誰にも傷つける事は出来ない透明感を感じる。

『おお神よ、僕の愛しい恋人の瞳の中の優しさが僕を泣かせる時はそんな調子なのです。』

この曲の歌詞はちょっと難解すぎて、俺の英語理解力じゃ、きちんと訳せなかった。

それよりも、曲が始まってから1分39秒後のあまりの展開のすごさに唖然としてしまう。4ビートのバラードから8ビートのシャッフルにアレンジが変わるんだ。まさに予想がつかないとはこの事かな。

アレンジの主導権はジャクソン・ブラウンよりバックミュージシャンにあった気がする。バックミュージシャンが愛するジャクソン・ブラウンの為に考えたアレンジだと思うのは俺だけかな。

でもちょっとクイーンの『マイ・ベスト・フレンド』に似過ぎの気がする。ホーンのシンコペーションとギターの3連のカッティングは「うーん」と考えてしまう。このアルバムは76年の発表で、クイーンのアルバム『A NIGHT AT THE OPERA/オペラ座の夜』は75年の発表か、うーん・・・。

 

4.THE PRETENDER

この曲もコンサートでは必ず演奏される曲ナンバーで、歌詞を読むと『ミュージシャンであることがこんなに辛い毎日であるなら、いっそ普通の一市民でいたい。そして神を信じて』そんなメッセージを読み取れる。

静かに曲は始まる、ビックリさせる仕掛けは何も無い、リズムは曲を支え、ギターは歌を支える、コーラスもオーソドックス。でもこの曲しかラストを飾れる曲は無かったと思う。歌詞も一番長いしね。

『僕はハッピーな愚か者になろう。そして、お金の為にもがこう
心と魂を無駄遣いし、お金で真実の愛を買えると信じている人たちに広告は狙いを定める。
真実の愛は激しいものだったけど、あなたはどうですか?
偽称者の為に祈ろう。
僕は結局諦めてしまったけど若く、力強く旅立った誰かの為に。 』

この歌詞の特徴は語尾のあちこちで、ちょうど気持ち良い位に、韻を踏んでいるところだと思う。tender,fender。fight,light,wait。vender,pretenderとね。

でも俺が知ってる中で、いちばん韻を踏んでるのはTHE POLICEの『見つめていたい』だと思う。全フレーズで見事に韻を踏んでいる。でも日本語で生活してる俺達にはあんまり関係ないかもね。

アルバムラストの曲『THE PRETENDER』がこの時期のジャクソン・ブラウンの心のあり方を語っていると思う。『PRETENDER』意味は『振りをする』という事。表ジャケットにはカラードの人たちで混み合うロサンジェルスの大通りを、胸を張って歩いているジャクソン・ブラウンの写真が使われている。

何の振りをして、何を背負って生きることを決心したのか。一人の人間として、一人のアーチストとしての力強さが垣間見えると気がする。自分自身の中に生きること、それは詩人として正しことかもしれない。

そして裏ジャケットに写っている彼の息子、ETHAN/イーサンの写真はジャクソン・ブラウン自身が写したものが使われて、チリの詩人PABLO NERUDA/パブロ・ネルーダの詞をKENNETH REXROTH/ケネス・レクスロスが英語に翻訳した詞、『BROWN AND AGILE CHILD』が飾られている。

『あなたの幸せなベイビーは輝く瞳を持ち、あなたの口に水の微笑を与えた。』

というように、大切な人に捧げる賛歌みたいな内容になっている。


全8曲を聞き、全8曲の詞を訳してみると、悲しみが詰まった言葉が並んでいる。このページで何度も書いてあるようにジャクソン・ブラウンの叫びがこのアルバムには散りばめてある。

でもここで、はっきりと分かってなきゃいけない事は、ジャクソン・ブラウンは一人の人間であると同時にアーチストであり詩人であるという事。確かに辛い時期はあったと思う。それを詞にし曲に乗せて歌う事が出来たのは真のシンガー=ソング・ライターであったからなんだ。その後発売され初の全米No.1となるアルバム『HOLD OUT/ホールド・アウト』は亡くなったローウェル・ジョージに捧げた1曲以外は、新しい妻のLynne/リンをテーマにしている事からも分かる。

俺と一緒にいるジャクソン・ブラウンのファンで聖書に詳しい人が言うには「ジャクソン・ブラウンの詞には聖書から引用した難解な言葉が使われる」らしい。でも俺ら日本人は音というものに対して昔から独自な才能を持っている。それは耳から入って来る音に対して想像を膨らます事ができるという事。欧米人には雑音としか聞こえない虫の音や雨音でさえ季節感を感じ、それを言葉に出来る。そして実際には聞くことが出来ない雪が降る音や、太陽や月の光が注ぐ音でさえ表現する事が出来る。

何の先入観も持たず一切の予備知識を捨てて、このアルバムをもう一度聞くと良いと思う。心臓の鼓動に近いリズムを刻むドラムとベース、華やかな彩りを添えるギターとキーボード、心躍らせるハーモニーとコーラス、そして力強さと優しさを兼ね備えたジャクソン・ブラウンの歌声に心が静まり、穏やかな気持ちになるはず。これは欧米人には感じ取れない、別のジャクソン・ブラウンの姿だと俺は思う。

流行の“癒し系”なんて言葉で語るには、このアルバムはあまりにも孤高であると思う。

RUNNING ON EMPTY/孤独なランナー

76年秋から77年春にかけて全米及びヨーロッパツアーを行い、77年3月に初来日を果たす。同年4月には“ローリング・ココナッツ・レビュー”への参加の為に再度来日する。そしてしばらく時間を置いた後、再び77年8月〜9月の2ヶ月間の全米ツアーをスタートさせる。同年のクリスマスに合わせて、そのツアーを収録したライブアルバム『RUNNING ON EMPTY/孤独なランナー』を発表する。

このアルバムを初めて聞いたのは三重県の山の中のとある場所でした。ラジカセから流れる数々のナンバーに感激して、俺より少し年上のそのカセットの持ち主から無理やり奪い取って俺の物にした思い出がある。

聞き込むほどに、「何故車の音が入ってるの?。笑い声や話し声がすぐそこでするのは何故?。何でこんなに雑音が酷いテイクがあるの?」と疑問が湧いてきたんだ。奪い取ったテープも痛んで来たので、当時大流行していたレンタルレコード店でこのアルバムを借りてライナーノーツ等を読んで見ると、ステージ以外の場所で録音された曲が全10曲の半分の5曲もあるという事にビックリすると共に別の疑問に対する答えも見つかったんだ。

単なるライブアルバムとしても聞くことが出来るけど、アーチストの日常やライブツアーを撮影したロード・ムービーやドキュメンタリー映画をこのライブアルバムで再現しようとしたんじゃないかという事なんだ。ツアーバスやジェットに乗り、街から街へと移動する毎日。それを映像でなく音として構築する事にチャレンジしたんだと思う。

ステージが終了した後にホテルでレコーディングしたテイクや、ニュージャージー州の何処かを走るツアーバスの中での収録だったり、そしてオフステージとオンステージの録音を編集して1曲に仕上げたりしている。オープニングとラストの2曲は同じステージでの収録になっていて、立派にコンセプトアルバムとして成立していると思う。

全て初出しの作品で、ジャクソン・ブラウンのオリジナルも有ればメンバーとの共作・裏方であるロード・マネージャーとの共作・カヴァーナンバーまで飛び出してくる。極めつけはラストナンバーの『STAY/ステイ』ではデイヴィッド・リンドレーがラストフレーズを歌っていて、ジャクソン・ブラウンを取り巻く仲間との暖かい雰囲気が出ていると思う。


数十年が経ち、年齢的には一人前の大人になった頃、ロバート・ゼメキス監督の映画『フォレスト・ガンプ』を見たんだ。ロッキー山脈を越える道をひたすら走るガンプ。青い空と高く聳える山々、そしてそこに1本の道が有る。その時流れてきたナンバーが『RUNNING ON EMPTY/孤独なランナー』だった。映像とアルバムジャケットの写真が一瞬オヴァーラップしたんだ。「すげー!スゲーよジャクソン・ブラウン」なんて感激して帰り道にCDショップに駆け込んでサントラ盤を即買いしたよ。家に戻ってよく見たら『RUNNING ON EMPTY/孤独なランナー』は収録されてなかった。またやられたよジャクソン・ブラウンには。

ノー・ニュークス(原子力発電所建設反対運動)やローリング・ココナッツレビュー(捕鯨に関する運動)なんかのチャリティー・コンサートはよく参加したくせに、ライブ・エイドには一切興味無し。大親友のトム・ペティと双璧を成してるかもね。

ウエストコースト・サウンドブームやベイエリアミュージックといったムーブメントは夢の彼方に消え去ってしまった。ドゥービー・ブラザーズは一流バンドへと成り上がる為に、血を入れ換え魂を悪魔に売り渡し、A.O.Rバンドへの道を選んだ、頂点を極めたかに見えたが、一歩先は奈落の底だった。イーグルスは『ホテル・カリフォルニア』が余りにもセンセーショナルに迎えられ過ぎた為に、肥大化する自らを支える事が出来ずに押しつぶされてしまった。

70年代後半からロック・ミュージックがビッグビジネス化していったことは確かな事なんだ。当時はウエストコースト・サウンド=サーファーサウンドと括られていたが、今振り返ると大きく時代が動いていたと再認識したよ。あの時代の波は穏やかな波なんかじゃなく時代が変わる荒れ狂う波だった。

ジャクソン・ブラウンは複数の核が集まり一つの個を作ることより、自分の核を見続ける事でアーチストとして成功したんだと思う。口さがない人は「後ろ向きに生きてる」とか「偏屈」とか言うけど自分を信じ続ける事を選ぶには強い信念と決心が有ればこそだと思う。

P.S.このページでジャクソン・ブラウンの事を書き始めたらこんなに長いページになっちゃった。それをジャクソン・ブラウン好きのいつも一緒にいる人に言ったら「あんた、それは物凄く好きなんだよ」と言われた。それからもう一つ『ロージー』の意味は自分の右手の事だってさ。