ジャクソン・ブラウンは1977年3月“The Pretender”ツアーで初来日し、それ以降は同年4月の“Rolling Coconut Review”・1980年11月“Hold Out”ツアー・1986年12月の“Japan Aid”・1987年1月“Live In Ballance”ツアー・1989年9月〜10月“World In Motion”ツアー・1994年4月“I'm Alive”ツアー・1996年4月“Looking East”ツアー・1998年4月の“The Next Voice You Here”ツアーと(2001年12月31日の時点で)計9度の来日公演を行っている。

俺が見ることが出来たのは6回目の“World In Motion”ツアーと7回目の“I'm Alive”ツアーの2公演。“World In Motion”ツアーの時は日本武道館で見たわけだけど、会場に入ってビックリした事があったんだ。どんなコンサートでも通常はステージの後ろから左右にかけて客を入れないスペースが有るけど(俺が知ってる唯一の例外はブライアン・アダムスを見た時だけど、それは又別の機会に・・・) その時はステージの後ろの方から左右へ武道館の1階席と2階席の1/3から2/5ものスペースが大きな黒い布で覆われていて、その上アリーナの椅子も数が少なく後ろの方までは並べられていない。「このコンサート7,000人位しか入らないんじゃないの。プロモーター赤字かな?。他の会場押さえられなかったのかな?」なんて他人事なのに心配しちゃったよ。

客層も俺が行った色んなコンサートの中じゃ1・2番と言ってもいい程外国人(白人)の割合が高かった。ジャクソン・ブラウンのMCに対して日本人特有の名前のみの叫びじゃなくて、長い英語で返事をしたり、曲と曲の間にジャクソン・ブラウンに向かって大声で自分のメッセージを伝えようとするんだ。それがより顕著だったのは2度目に見た“I'm Alive”ツアーで会場は新宿厚生年金会館だった時の事。ステージを正面に見る事が出来る2階席に居たわけだけど、アットホームと言えばそうかもしれないし、会場の大きさもあったと思うけど、前回以上に外国人の割合が高く、叫び声も大きく聞こえていた記憶があるんだ。

その時もジャクソン・ブラウンが地球の環境問題についてMCをしていると、「それはもう良く判っているから早く次の曲を演ってくれ」とか「早く○○○が聞きたい」なんて大声で催促するんだ。「やっぱり今日のコンサートも外国人多いんだ」なんて的外れな事思ったりしたからね。流石にジャクソン・ブラウンも苦笑いして「わかったよ」なんて言ってたよ。コンサートの終盤はライブアルバム『RUNNING ON EMPTY/孤独なランナー』を思わせる構成で、思った通りと言うか予定調和と言っては言い過ぎかもしれないけど『STAY/ステイ』でコンサートは終了した。でもコンサート全体に流れる雰囲気は心を暖かく包んでくれるものだったと思う。俺が思ってた通りのジャクソン・ブラウンだったと思えたからね。

俺はこの2回のコンサートしか見る事が出来なかったけど、これ以降も全て見ていて、いつも俺と一緒に居るジャクソン・ブラウンのファンが言ってた事なんだけど、1998年の“The Next Voice You Here”ツアーの時に新宿厚生年金会館の2階席の一番前で乗りに乗ってる若い白人が居て、「何だ、あいつは?」と思ってよく見たらジャクソン・ブラウンの息子のイーサンだった、そして隣には何故かピーター・バラカンが居たらしい。は、は、は、次に来日した時には見に行きたいな。

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