1979年に待望のそして念願の初来日が決定し、チケットも発売された。しかしキースの過去のドラッグ禍が問題になり一転ビザの発行が出来なくなり来日公演は中止となった。

それからも何度か来日の噂や憶測が流れたけど俺にとって辛かったのは来日の噂と同じくらい流れる解散説。「このツアーが最後。このアルバムが最後。ミックがあーだとか、キースがこうだとか」毎月何冊か買う音楽誌のどれかには必ずといっていい程載ってたんだ。

1982年に20周年記念で監督ハル・アシュビー/HAL ASHBYで公開された映画『Let's Spend the Night Together...live it』も当然何回も見たし、ビデオも何本も購入しては何度も見た、そして来日を何度夢見たことか

ミックがソロで来日するらしいと噂が広がった途端、まわりの不安そっちのけであっという間に1989年2月の東京ドームのこけら落し第3弾にミック・ジャガーの来日コンサートが決定した。幻の初来日から10年が経っていた。一流ミュージシャンがバックを務めていて、ミックのソロナンバーはもちろんの事、ストーンズのナンバーも何曲か演ったんだ。それなりの興奮や感激はあったけど「何か違うぞ」という思いが心に残ったままだった。

ここまで来たら次はストーンズが来日することが出来るかもしれないと思っていたら、次の年本当に来たよストーンズが。タイトルは『STEEL WHEEL』ツアー。再び会場となった東京ドームに入った時からもう“ワクワク”“ドキドキ”状態、だけど心の隅で「ステージがはじまるまで安心できない」とちょっと不安もあったがライトが消えた瞬間から興奮の坩堝。叫びまくりであっという間に声がガラガラに。

アリーナ席じゃなかったからステージまでは距離があったけど、動く本物のストーンズのメンバーたち「スゲェカッコいい!」意外にもロン・ウッドが一番カッコ良かった記憶がある。そしてコンサート半ばの『RUBY TUESDAY』の時は人目もはばからず泣いてしまいました。もう全然涙が止まらなくて「ステージを見なきゃ」と思っても次から次へと涙があふれ出て涙でにじんだステージを覚えてる。大満足の一夜だった。

東京ドームへ足を運んだのは2日目だったんだけど、実は初日にも東京ドームには行ったんだ、当然チケットはないから会場から漏れてくる音を聞いて盛り上がっていた。

初来日の時の騒ぎは凄くて新聞の号外は出るは、テレビでは毎日特番が放送されるし狂喜乱舞の数日間だった。新聞や雑誌は買えるだけ買ったしテレビは録画できるだけ録画し我家の家宝となった。

その後の『VOODOO LOUNGE』『BRIDGES TO BAVILON』のツアーも見に行った。『BRIDGES TO BAVILON』の時はチケットを持ってない日も東京ドームに日参して、大型スクリーンを外から覗ける場所を見つけて楽しんでたんだ。『MOST FAMOUS ROCK'N ROLL BAND IN THE WORLD』は嘘じゃなかった。また来てねローリング・ストーンズ。

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