俺がいた風景中学校

 

叔父さんが「資料館に行ったことがあるか?懐かしい写真が飾ってあるぞ」と俺に言う。その言葉に押されるように郷土資料館を初めて訪ねてみた。随分以前から、そこに建てられているのは知ってたけど、「行ってもつまんないだろ」と思って何となく敬遠して今まで足を運ぶ事は無かった。


山の中ほどに建てられた資料館は、出土した弥生式土器や炭鉱が盛んだった時代の品々が並ぶ資料室と図書室とに分かれていた。壁に飾られた白黒の数枚の写真の中の1枚に俺の目は釘付けになった。物心が付いてから大学生になり一人暮らしをする為に町を出るまで毎日見ていた景色がその写真の中にあった。大通りの左右に炭鉱の社宅が並び、奥に山がある。撮影日を見ると、俺は確かにこの町で生きていた。大通りで遊び、七夕祭りを楽しみ、夏には盆踊りを踊ったんだ。


写真右端の社宅の、もう1ブロック右の方に俺が住んでいた家はあった。写真の一番奥にある山を俺たちは『売店山(ばいてんやま)』と呼んでいた。中腹のスペースには炭鉱が経営する売店があり、それを『上店(うえみせ)』と呼び、周りには駄菓子屋・時計店・魚屋・八百屋・豆腐屋そして銭湯があり、その銭湯を『上風呂(うえぶろ)』と呼んでた。写真の逆の方(俺が立っている方角)には、それに対応するように『下店(したみせ)』と『下風呂(したぶろ)』があったんだ。


俺が町を出て行った頃からは町は変貌を遂げはじめた。『売店山』を切り崩し、その土で社宅の跡を埋め、平坦な土地とし、今はその場所には大型スーパーが立っている。俺が住んでいた頃の面影は僅かしか残っていないんだ。そしてもう1枚、俺の目が釘付けになった写真があった。その写真には小学校の横を流れる川に架かっていた橋が写っていた。今はコンクリートの橋に掛け替えられてるけど、写真に写ってる橋は木製だ。撮影日時は俺が小学生だった頃だ。毎日この橋を渡って学校に通っていたんだよね。俺が二年生の頃に写した写真が手元に有るんだけど、橋は木製でしたよ。


あんまり感傷に浸るのは好きじゃないから、他の展示品を見て気分転換でもしようかと思って、弥生式土器のレプリカなんかを触っていても、いつの間にか、その2枚の写真の前に戻ってしまった。その2枚の写真に写っているのは紛れも無く『俺がいた風景』だった。


資料館の建物を出ると視線の先に1年間だけ通った中学校が見えた(1・2年生の時は旧校舎)。今、俺が立っているこの場所も、昔は『山ノ神』と呼ばれていた神社へ登る長い長い階段の途中のはず。下に広がる町は『宮ノ下』というんだ。後ろを振り向くと神社の境内へ続く階段があったけど、新しく作り直した階段だし、その先に今はもう神社も鳥居も無い事を知ってるから、足を運ぶ事は無かったよ。

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