水ぜめ忍城

 

会社の仲間が図書館で借りてきた数冊の本の中に、『荒川新発見』というちょいと気なる本があった。「 荒川といえば“秩父・長瀞”だな」と、他人には意味をなさない言葉を言いながら、「ちょっと、借りていい?」と、その本に手を伸ばした。


何故、“秩父・長瀞”なのか? それは、初めて秩父へ旅行に行った時、この町を流れている大きな川が実は、ゆったりと流れながら東京を縦断してる荒川の上流で、河原にゴロゴロと転がっている岩を削るような勢いで流れる川の姿を見て圧倒された事があるんだ。しかし最も驚いた事は、川が南から北へ流れていた事だ。

東京に住んでいると観念的に東京湾の辺りが一番低くて、離れていくほど少しずつ土地の高さが上がっていくと思っているから、東京湾に注ぐ川は、西から東、又は東から西、そして北から南の三方から流れてくるもんだと決めて掛かっていた俺には十分衝撃的で、『荒川=秩父=南から北』と、頭の中に刷り込まれたんだ。


本を手に取り、パラパラとめくる。「秩父のここは知ってるぞ」 「何々、長瀞のあそこはこうなってたのか」と読み進めていくと、『忍城』という文字が目に止まった。今から15年位前に、『温故知新』と銘打ったツーリングで『さきたま古墳群』や『三日月村』に行った時に遊んだ大きな迷路の名前が『忍城アスレメイズ』だったことを思い出した。それと関係が有りそうだ。

本を読み進めると、“豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた時に、石田三成が小田原城の支城であった『忍城』を水攻めにした”らしい。『忍城』って実在するんだ。サイトもそれなりに立っていて、結構有名な城らしい。


読んでみて驚いた事が一つあった。今の今まで、『忍城』を“しのぶ=じょう”と呼ぶのだと思っていたが、実は“おし=じょう”と呼ぶらしい。へえー、へえー、へえー。今度は15へえだ! 『忍城アスレメイズ』のチケットに忍者のイラストが描かれていて、キャッチコピーが城ぜめだから、忍者城ぜめ=“しのぶじょう”という造語だとばかり思っていたよ。

う〜ん。まだまだ、世の中には知らない事が一杯だ。そして、頭の中には、まだまだ勘違いが幾つも詰ってそうだ。

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